その老人は「風景に会いにゆく」と言い残
こして家を出た。が、開け放たれた玄関の奥
には家人はいない。誰に声をかけたのか。今、
老人が思うのは、無料食料配布所のことだけ
だ。そこでは、お米から野菜から調味料まで
食べものが無料で手に入る。少しだが会話も
ある。その老人はここ二年、配布所のおかげ
で生きてきた。老人が「風景に会いに行く」
というのはこのことである。
近ごろ多くの高齢老人が配布所にやってく
る。一言二言の挨拶から始まって、いまでは
笑い声も出るようになった。笑う老人と即席
緬パックや少し萎びた野菜などを積み上げた
配布所。実際、そこに人が集まってくる。老
人はそれが好きで「風景に会いにゆく」のだ。
やってくる高齢老人と話しながらその老人は最
近妙な考えに取りつかれるようになった。
自分が歩いてきた道は夢だったのではないか、
という訳のわからない思いである。確かに学校
を出てから仕事につき、結婚もし、子どもも生
まれた。苦しいこともあったが楽しかったこと
も喜びもあった。だが、この道は自分が選んだ
ものではないような、仮の夢のような人生では
なかったか。
配布所から食べものを貰って生きていること
が、その老人のゆきつく先になった。配布所で
食べ物を頂いて生きていることを恥ずかしいと
は思わない。ただ、まじめに一生懸命生きてき
たのだが老人になって何故にこうなったのか、
知りたい、人生が夢のようとしか思えないその
老人は激しく問うのである。
配布所のある町の背景となっている山が近頃だ
んだんとせり出してきて、それに連れて配布所
に通う高齢老人たちが少しづつ増えてきた。誰
もが自分の人生を夢のように生きてきた普通の
まじめな老人たちだ。
現代詩ランキング
2024年12月10日
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